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日本の現代美術はどのようにしたら欧米から独立できるのか

日本の現代美術はどのようにしたら欧米から独立できるのか?
私は、地方の住まいで若手アーティストの展覧会を開催することで独立できると考える。

日本で現代美術と呼ばれている美術ジャンルは、日本の文化では全くなく、欧米の富裕層が私たちの意見を一切反映せず勝手にラベリングしたものでしかないのではないだろうか。

そんなものを「これが今をときめく日本の現代美術作家の作品です!」と言われても、「はあ...(現代美術ってよくわからないな...)」という反応が日本の人々から帰ってくるのは当然である。そもそも、それは日本国内で確立された美術ジャンルでは全くなく、日本人現代美術作家の主要作品の大半が海外の美術館やコレクターに所有され尽くされている状態だ。

明治時代に「美術」が輸入されたと言われているが、それは決して過去形ではなく、今もなお「美術」は「現代美術」に姿を替え輸入され続けている。現代美術作家として脚光を浴び活動を続けるためには、欧米で実績を挙げなければならない。つまり、「欧米」の価値観に準拠するという選択肢が、現代美術作家として生きていく方法として未だ色濃く残っているのが現実だ。

日本の現代美術文化は、未だに、米国を中心とした欧米の価値観から全く独立できていない。

その一つの証拠として、毎年大量に美術大学から排出される若手アーティストの活動困難が挙げられる。

欧米の価値観に基づく「現代美術」の作り方を叩き込まれ社会へ放り出された学生達は、そのスキルを通じて生計を立てる難しさを知ることになる。そもそもの需要と環境が無い中、無計画に生み出された技術者だ。魚アレルギーの住人しかいない山村の学校で4年もかけ漁の技術を子ども達へ必死に教える様なものだ。

日本の人々の本質的な感覚から理解し難い品が大量に生産され、欧米で印籠を渡されたばかりにそれが価値ある物として日本国内へ流通する(もちろん、100%の作品が理解し難いものであるとは思わない)。

けれども、そういった事実に対する強制的な合意を求められた時、人は「海外で人気なんだー」「東京で人気らしいねー」という、作品に対する思考停止状態に陥る。地方は特にそういった印象が強い。百貨店だけでなくギャラリーのスタッフでですら「東京で人気のお品物なんですよ」と薦めてくる。そのものの価値をきちんと共有できていない本部の責任でもあるが、理解したいという気持ちを刺激する影響力がなければそもそも価値の無い作品だったのだなと私は思う。

とある地方地域に、大型ショッピングモールが進出した。
1〜2年で地元商店街はシャッター街と化した。
5年後、採算が取れなくなった大型ショッピングモールは撤退、
その地域に住む人々はビスケットを一箱買うのにも車で片道40分走らなければならなくなった。

自分たちが売っている物に対する認識と、自分たちが買っている物に対する理解が失われることで、コミュニティはあっと言う間に疲弊し、物理的、あるいは状況的に限界集落へと姿を変える。

現代美術に関しても同様のことが言える。

日本で暮らす人々の声に耳を貸さず、メディア越しに発信される現代美術のトレンドやゲームルールに則り作品を制作し続けることは、日本の現代美術の芽を破壊する行為と同じかも知れない。そのスタイルはあくまでも欧米の人々が自国の文化的土壌から生み出したスタイルであって、四季の激しい島国気質にはどうしたって拒絶反応を引き起こす傾向があるのだと思う。

みんなが言いと言うものがいい。

と書くと、欧米や東京の価値観を丸呑みするのと何も変わらないかもしれないが、ここで言うみんなとは、同じコミュニティに所属する「みんな」を指す。

2000年代に入ってから、田舎を出て東京へ行く、世界を目指す、といった考え方がすり切れてきたように感じる(経営においてはグローバル展開が最重要課題ではあるものの、その感覚へ労働者がどこまでついてゆけているかは心もとない)。地元志向も年々高まっていると聞く。若者のシェアハウスが生活の現実的な選択肢の一つとして確立された近年、地方地域などのエリアでの「住み開き」や「ギークハウスプロジェクト」などの新しい暮らしの形も誕生した。

とにかく外へ外へと動いていた日本人の心境が今大きな反動を起こし、
内へ内へ、家の中へと変化してきているように思う。

そこで生まれるコミュニケーションは説教や失態、情動の共有など他者との密接な関係のもと形作られている。スペースによっては交流食事会や勉強会を開催し、これからの暮らしのあり方や環境、個々人の理想とする地域の未来と向き合う機会などを提供する。メディアやノルマ、トレンドに縛られない自由な思考がその場では展開される。

今、日本の地域が東京/欧米の価値観から独立するためには、そういったマクロレベルの場で対話することが最も重要なのではないかと私は考える。考えることを辞めた人間は悲惨だと思う。だが今の日本では思考停止状態でなければ生きにくいきらいもある。戦後復興を目指し日本人は働きすぎた。自殺者を生み出しすぎた。311も一つのきっかけとなり今、日本は、本当に人として価値ある生き方、暮らしを今一度見直す転換期に入ったのだと思う。

そして、そういった転換の中枢に位置する「家」でこそ「日本の現代美術」とは何なのかを今一度「好きか嫌いか」「欲しいか欲しくないか」の論点で議論してもらいたいと思う。そして、好きでない・欲しく無いアートへははっきりとNOの姿勢を示して欲しい。

これからは、欧米/東京が私たちへ押し付けてきた現代美術を簡単に容認するのではなく、地方地域がいいと思うアーティストを発掘し、支えることでそのアーティストを真の日本の現代美術作家として育て上げる必要がある。都市部とは異なる価値観を地方から発信すること。新しい日本の姿は、地方地域の姿そのものとなることが、真の日本の文化的独立に繋がると私は考える。

また「なぜ地方の住まいで若手アーティストの展覧会を開催するのか」を
若手アーティスト支援の視点から述べると理由は3つある。

1つめはそもそも、大多数の日本人は作品と暮らした経験が無い。
未経験の体験を得るため高額な作品代金を払う人はそういない。
まずは毎日の暮らしを通じた作品鑑賞体験の豊かさを
より多くの日本で暮らす人々と共有する必要がある。

2つめは、長時間鑑賞を通じたアイデンティティの覚醒。
作品と暮らしたことがないということは、作品を長時間鑑賞したことがないことと同義である。
作品の中には私たちの想像の範疇を遥かに超えた伏線が張り巡らされている。
その伏線1つ1つを理解することで、私たちは自身の生き方の大きなヒントを得ることになる。
そして、伏線は鑑賞者によって多様に変化するオリジナルなものである。
作品の長時間鑑賞を通じて発見されたオリジナルなメッセージが
自身の血肉となる楽しさを共有したい。

3つめは、1と2の旨味を知った方々へ、アート作品を鑑賞対象でなく購入対象として見る視点を持ってもらいたい。これは大変長期的な目標ではあるものの、まずは現代美術の定義を確立するところから日本は始めなければならないと思うので、焦らずこの人生を通じてじっくり行っていきたいと思う。

これらの理由から、
私は、日本の現代美術を欧米から独立させるために
地方の住まいで若手アーティストの展覧会を開催する。
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【目次】東京型アートビジネス-ツールとしての現代美術-

目次

1 日本の現代美術
1-1 日本の現代美術とは
(1)日本の現代美術の定義
(2)欧米と日本の現代美術
(3)日本の現代美術作家
①現代美術作家の経済的自立とは
1-2 本稿の立場と研究方法

2 鑑賞者教育
2-1 米仏の鑑賞者教育
(1)鑑賞者研究
①対話型鑑賞とVTCプログラム
(2)自治体によるパーフェクトパトロン育成
(3)学校によるアートリテラシー教育
2-2 日本の鑑賞者教育
(1)鑑賞者教育史
(2)鑑賞の評価
(3)学校と外部団体の連携
2-3 現代美術と子どもたち

3 結論 現代美術の「教育ビジネス化」
3-1 私立学校との連携
(1)教育費
(2)立地
(3)傾向
3-2 教育のための「現代美術」
(1)教育のための「現代美術」とは
(2)鑑賞教育概要
(3)現代美術作家との連携
(4)現代美術へ与える影響
3-4 本研究の意義と限界

→次へ(第1章 日本の現代美術)

【第1章】日本の現代美術

1 日本の現代美術

本研究は、現代美術と呼ばれる美術ジャンルを取り巻く日本の状況をアートマネージメントの観点から分析するとことを目指すものである。正確には現代美術という美術ジャンルは存在しない。本稿における現代美術の詳しい定義は後述する。
 現代の日本において、現代美術は広く受容されている美術ジャンルであるとは言えないだろう。日常的な感覚から言っても、古典美術と比べると現代美術を日常的に親しむ人がそう多くいるとは言えない。イギリスのロイター通信によると2009年に世界各地の美術館で開かれた特別展の1日当たりの来場者数調査で、日本の展示会が1日当たりの来場者数で1位から4位を独占したことが分かっている。

(順位/展覧会名/総来場者/1日の来場者数平均/会場/都市、の順に表記)
1/国宝 阿修羅展/946,172/15,960/東京国立博物館/東京
2/正倉院展/229,294/14,965/奈良国立博物館/奈良
3/皇室の名宝―日本美の華/447,944/9,473/東京国立博物館/東京
4/ルーヴル美術館展/17世紀ヨーロッパ絵画/851,256/9,267/国立西洋美術館/東京
5/第2回写真ビエンナーレ/419,256/7,868 /ケ・ブランリ美術館/パリ
6/ピカソと巨匠/783,352/7,270/Grand Palais/パリ
7/カンディンスキー/703,000/6,553/ポンピドゥーセンター/パリ
8/ジョアン・ミロ:ペィンティングとアンチペィンティング/377,068/6,186/MoMA/NY
9/ピピロッティリスト:あなたの体を外へそそぐ/391,476/6,186/MoMA/NY
10/THE ハプスブルク/390,219/5,609/国立新美術館/東京

これはイギリスのアート情報誌「The Art Newspapaer」による発表である。世界各地の美術館で開かれた特別展の来場者数上位10位の半分を日本が占めているにも関わらず、その中に現代美術展が1つも入っていないことから現在の日本において現代美術が古典美術と比べ広く受容されていないことが分かる。
日本以外では、ケ・ブランリ美術館で行われた「第2回写真ビエンナーレ」が5位に入っている。これは現代写真作家の作品展示をしたもので、総来場者数は23,000人程劣るものの3位の「皇室の名宝―日本美の華」に近い数値を出している。また、9位の「ピピロッティ・リスト:あなたの体を外へそそぐ」は、タイトルから分かるように現代美術作家のピピロッティ・リストによるものである。日本で上位10位に入った展覧会が全て古典美術なのに対し、海外では現代美術を取り扱う展示も入っていることを鑑みると、日本の現代美術鑑賞者数は海外と比較しても少ないことが伺える。ここで日本国内の現代美術展と先に述べた展示会の来場者数を比較してみたい。
(展覧会名/総来場者/1日の来場者数平均/会場/都市、の順に表記)
国宝 阿修羅展(2009)/946,172/15,960/東京国立博物館/東京
ピピロッティリスト:あなたの体を外へそそぐ(2009)/391,476/6,186/MoMA/NY
2008年度企画展平均(8展)/42,975/1,548/東京都現代美術館/東京
VOCA展2009/13,000/867/上野の森美術館/東京
東京都現代美術館で開催された8つの展示、若手現代美術作家の登竜門の1つの「VOCA展2009」の展示来場者数と古典美術の展示「国宝 阿修羅展」、アメリカ現代美術の展示「ピピロッティリスト:あなたの体を外へそそぐ」の差は歴然である。これらのことから分かるように、現代の日本において現代美術というジャンルはそれ以外の美術ジャンルと比べ集客力が弱く、海外と比較しても広く受容されている美術ジャンルではないと言えるだろう。
ただし、これらの特別展には全て、主催もしくは特別協力にテレビ局、新聞社が入っており、一般的な現代美術展と異なり上記の特別展はそれら大企業の有する豊富なネットワークと潤沢な広告費を用いて宣伝を行うため、現代美術展の観客が特別展と比べて少ないのは必ずしも日本の人々が現代美術を日常的に親しんでいない、という訳では無く、純粋に現代美術展示が行われているということを知らないだけという可能性もある。
だが、強力な広報を打てば来場者数が増えるという仮説を立てるのであれば、何故現代美術展は古典美術展同様の広報を実施しないのだろうかという疑問も生まれる。ここでは、「日本の現代美術鑑賞者数は国内外と比較しても少ない」という状況にのみ焦点を当てて論を進めたいと思う。
ではこのような状況から読み取れる、日本において現代美術が普及していないという事実は一体何によって説明されるのだろうか?それは、現代美術を取り扱う展覧会が少ないなどの、設備環境によるものだろうか?
 しかしながら、展覧会数の問題は東京に限って言えば、当てはまらない。
 現在東京には400以上のギャラリーがあり、そこで行われる展覧会の殆どは現代美術を取り扱っているものである。また、東京都現代美術館で開催される展覧会は美術館の名の通り全て現代美術を取り扱っているものだ。更に近年では越後妻有トリエンナーレ、愛知トリエンナーレ、瀬戸内芸術祭など、地方都市を中心にした大規模な現代美術の展覧会や、取手アートプロジェクトを始めとする地域活性等をテーマに掲げた現代美術を中心に取り扱うアートプロジェクトが頻繁に開催されている。このように、鑑賞機会で言えば決して少なくないにも関わらず、なぜ今日、日本に取って現代美術は多くの人々にとって、疎遠なものであるのだろうか?また、そのような環境で活動を行っている若手現代美術作家の置かれている状況は一体どのようなものなのだろうか?また、その状況を打破する為にはどのようなアウトリーチが必要とされているのだろうか?
 本研究は、この問いに答えることを目的とする。

1-1 日本の現代美術とは

 ここでは、美術界において日常的に使用される現代美術という言葉、そしてそれを取り巻く状況を本稿を進める上で明確に定義したい。先に述べたように、正確には現代美術という美術ジャンルは存在しない。だが、東京都現代美術館が現代美術に関する展覧会を開催することを施設概要に掲げていることから、「現代美術」と形容することの出来る作品郡があることもまた確かである。
 欧米の現代美術は1900年代のアール・ヌーヴォーと新印象派から始まると言われている。そこからフォーヴィズムや表現主義、キュビズムなど様々な美術の動向が派生してくるのだが、それら全てに共通しているのが「古いアカデミズムの価値観から脱出し、自由で新しい表現を求めた美術活動」という点である。つまりは、それが欧米における現代美術の定義だと言える。では、1873年に美術という概念を輸入し、1876年に西洋美術教育を開始した歴史を持つ日本の「現代美術」とは一体どのようなものなのだろうか。

(1)日本の現代美術の定義
 日本の現代美術は戦後に始まったとされる。明治時代に欧米より輸入され定着した美術は第1次世界大戦、第2次世界大戦にて、大勢の画家によって描かれた戦争記録絵画を通じて輸入後最大の隆盛を極めた。そして、第2次世界大戦での敗戦を通じ日本の民主化が成されたことで美術家達は戦時中と比べ国からの圧力に縛られない自由な表現を行えるようになった。戦後4年目にして読売アンデパンダン展が開始しされ多くの作家たちが様々な表現を繰り広げたこともその1つの発露とは言えないだろうか。
 戦後に展開された現代美術には、具体、アンフォルメル、反芸術運動、もの派等の表現・活動ジャンルが挙げられる。それらは当時の日本の世相、価値観、思想と深く関わっていると同時に過去の表現スタイルとは異なる手法で発展、展開している。これは、欧米の現代美術の定義である「従来のアカデミズムの価値観から脱出し、自由で新しい表現を求めた美術活動」へ日本の現代美術も当てはまるものだと言える。本稿では、展開される現代美術と同じ時間軸にいる人々、つまりは鑑賞者と現代美術の関係性に焦点を当てて論を進める為、上記の記述をふまえ現代美術を、同時代性が強く、また先駆的な表現を行っている美術ジャンルとして取り扱う。
本稿における現代美術の定義付けを行った所で次に、日本の現代美術と欧米の現代美術の関係性を考察したい。

(2)欧米と日本の現代美術
 日本の現代美術は欧米の価値基準に強い影響を受けていると言える。草間彌生、杉本博司、村上隆はオークションで作品が1億円前後で売れる、日本を代表する現代美術作家だという認識が日本国内においても強いと言われている 。だが彼らが現代美術作家として日本で広く認知され始めたのは欧米でその芸術性が認められたからである。浮世絵は世俗的なものとして日本で長く美術として認識されていなかったが、欧米に評価されたことで日本でもその価値が広く認められ、後に日本浮世絵協会が設立されたのも類似の事例だと考えられる。また、先述の戦後に展開された現代美術活動でも具体とアンフォルメルは当時の美術批評家にすら理解されていなかったが、欧米の評論家に認められたことを通じて現代美術活動として日本での評価を得ている。
 これらの事例より、日本の現代美術は完全には自立しておらず欧米の価値基準の中で展開している一面があることが伺える。この理由の1つに、日本の観衆が現代美術作品の自立した鑑賞を行っていないことが挙げられないだろうか。日本において現代美術は普及していない美術ジャンルのため、観衆の中でそれが自国の文化であるという意識が広く芽生えていないと言える。そのため、日本の観衆の大半は未だ現代美術に対する自己の価値基準を持ちえてはいないとは考えられないだろうか。これらのことより「現代美術鑑賞者の自立的鑑賞」が成されることで、日本の現代美術が欧米からの自立するきっかけが生まれるのではないだろうか。
 ただし、近年世界中で作家の国籍を問わない様々なアーティスト・イン・レジデンスが行われていることで現代美術作家自体がノマド化し国や土地にとらわれない自由な活動が行えるようになっているという利点もあり、欧米を始めとする他国の価値基準に影響を受けることが非であると一義的に述べることは出来ない。
では、現代美術が自国の文化であると広く認識されていない現代美術作家はどのような環境で活動を行っているのだろうか。本稿では、その労働・経済状況を軸に分析を行いたいと思う。

(3)日本の現代美術作家
 1930年代アメリカで起こった大恐慌時代に、雇用促進局は芸術家支援計画として1万人の美術家の雇用、20万点の制作依頼を実施した。国民へ可能な限りの労働を呼びかける中、美術家を美術家として雇用していることから当時のアメリカにおいて表現活動が労働として受け入れられていたことが伺える。
 では、現在の日本において現代美術作家の活動は労働として認められ、その表現を通じて賃金を得ることは可能なのだろうか。
 1988年に開催されたユネスコの「芸術家の保護に関する国際会議」での最終報告書の中で、1980年に採択された「芸術家の地位に関する勧告」全般に関する実施状況について「いくつかの地域で進歩が見られるにも関わらず、達成された結果には失望を覚える」と指摘している。1951年の時点で日本は既にユネスコへ加盟しているため、この指摘は日本の芸術家、つまりは現代美術作家にも当てはまると考えられる。さらに、「ユネスコ加盟国や非政府組織が芸術家の地位に関する勧告を実行するために採るべき方策」の最終報告書で、芸術家の社会的地位を高めるために採られるべき必要な措置を提唱している。その中の1つに、「芸術家に最低所得を保障する」という項目が挙げられている。この最終報告書は1988年に提唱された古いものであり現在の状況を的確にあらわしているとは言い難いが、現代美術が日本において広く受容されていない美術ジャンルであることも鑑みると、現在日本で活動を行う現代美術作家は活動における最低所得の保障が成されていないとは言えないだろうか。また、現代美術作家の新しい活動の場の1つとして認識されているアートプロジェクトにおいて、スタッフの大半がボランティアであるなどの状況から、作家が表現活動を通じて得ている賃金もまた、充足ではないことが推測できる。
 だが近年、現代美術作家の藤井光がOUR STRIKEという、芸術労働者の労働環境、生活実態を明らかにし、芸術と労働の新しい関係性を創出していくことを目的としたプロジェクトを実施している。またARTISTS’GUILDという、アーティストによるアーティストのための芸術支援をコンセプトに、アーティストの制作・展示場所における経済的支援を目的とし機材の共有システムを構築している団体が発足していることから、現代美術作家の置かれている状況を共有し支援しようとする意識が日本国内に生まれてきていることも伺える。
 しかし、賃金の問題は依然として解消されないままである。では、日本で「現代美術作家の最低所得が保障されている」状態とは、一体どのようなものを指すのだろうか。
平成21年度の勤労者世帯の1ヶ月の平均収入(実収入)は、1世帯当たり51万8千円、このうち世帯主の収入は41万9千円で、実収の80.9%を占めている。また、実収入から税金や社会保険料など世帯の自由にならない支出を除いた可処分所得は42万円8千円になっている。手取り収入のうちの31万9千円が、食費や住宅費等の消費支出に使われ、その残りの10万9千円が、預貯金や生命保険の掛け金のほか住宅ローンなどの借金の返済にあてられている 。単身世帯の消費支出は162,731円となっており、その内訳は3.8万円食料、2.2万円住居、2.1万円交通・通信、2.2万円教育娯楽、6.1万円その他(光熱・水道、家具・家事用品、被服及び履物、医療保険、教育、その他の消費支出を合計したもの)となっている。

(平均/勤労者世帯/単身世帯、の順に表記)
一ヶ月の収入(実収入)/42万円8千円/20万3千円
消費支出/31万9千円/16万2千円
黒字/10万9千円/4万円

勤労者世帯の黒字割合は25.4%のため、その比率を参考に1人世帯の黒字部分が25%だとすると、1人世帯の1ヶ月の平均収入は20万3千円程度であると考えられる。
現代美術作家を1人世帯と仮定すると、作家の所在、作品のメディア及び発表形態によってどの程度の支出になるかは想定しづらいが、作品制作費、個展開催費等、一般的な1人世帯の支出には含まれていない出費があると考えられるため、1ヶ月に最低でも20万3千円の収入が必要であると言えるだろう。
では、定職に就かず、いわゆるフリーターとして現代美術作家が労働を行う場合、その収入はどの程度のものになのだろうか。フリーター全般労働組合のアンケートによると、フリーターの年収は以下の表の通りである。

100万未満    20%
100~199万 28%
200~249万 6%
300~349万 8%
400~449万 4%
450~499万 2%
550~599万 2%
その他    10%

上記の表より、100万円未満~249万円が54%と高い数値を示していることが分かる。若手現代美術作家の一ヶ月の最低収入ラインが20万3千円であるのに対し、約7割のフリーターの1ヶ月の収入は8万円~20万円となっている。差額が12万円と個人差が大きいが、最高値ですら最低収入ラインには到達しておらず、また作品制作や個展開催準備などの活動により労働時間が一般的なフリーターよりも少なくなる可能性を考えると、若手現代美術作家のおかれている制作環境が十分なものであると果たして言うことは出来るのだろうか。またこのアンケートに答えたフリーターの40%とほぼ半数が20代後半から30代前半となっていることから、「若手」現代美術作家の経済的状況を現している1事例と考えられる。これらの事例より、本稿では20代から30代の若手現代美術作家の最低所得保障、「現代美術作家の経済的自立」をテーマに論を進めたいと思う。

①現代美術作家の経済的自立とは
 前項で述べた「現代美術作家の経済的自立」が一体どのような状況を指すのかをここで詳しく述べたい。現代美術作家が経済的に「自立」しているということは、作家としての経済状況が安定している、つまりは作家活動を行う上での金銭的な不足がないということである。先述したARTISTS’ GUILDの活動は現代美術作家の経済的自立を補足していると考えられる。ARTISTS’ GUILD名義で購入された機材は安価で美術家へ貸し出される。これにより、作品制作時における機材購入費が削減されることで美術家の経済的な負担が軽減すると言える。では、前項であげた現代美術作家を取り巻く経済・労働環境を踏まえた上で、現在どのような現代美術作家の経済的自立支援が求められているのだろうか。
芸術家の地位向上をユネスコが推進したにも関わらず、結果として「いくつかの地域で進歩が見られるにも関わらず、達成された結果には失望を覚える」と指摘している通り、芸術家、現代美術作家への支援は非常に困難かつデリケートな問題であると言える。またARTIST’S GUILDの活動を鑑みると、現代美術作家は金銭的な支援ではなく作品制作で使用する機材の共有等の支援を求めているとも考えられる。これらのことより、現代美術作家の経済的自立を達成するためには以下の6つの支援が必要であると考えられる 。

1:制作環境
2:制作で使用する機材、材料
3:作品発表場所
4:作品保管場所
5:活動をする際のサポーター(アートマネージャー・ボランティア)
6:作品共有・鑑賞機会(美術家向けライブラリー)

現代美術作家によっては上記以外の支援を必要としている可能性も十分に考えられるが、本稿では上記6つの支援を行うことが「現代美術作家の経済的自立」達成へ繋がるとし論を進める。

1-2 本稿の立場と研究方法

 最後に、第1章の結びとして、第2章以降の流れと本研究の立場を示しておく。
 本研究は、現代美術作家と現代美術鑑賞者を取り巻く日本の状況をアートマネージメントの観点から分析することを目指すものである。そのために、「現代美術鑑賞者の自立的鑑賞」「現代美術作家の経済的自立」という2つのテーマを軸に置き、その観点から現代美術普及のために必要な要素を分析していく。
まず第2章では、2009年に開催された展示会の来場者数上位に現代美術展が入っていた米仏で実施されている鑑賞者教育と日本のそれの比較分析を行う。
第3章では、第2章で説明してきた鑑賞者研究、鑑賞者教育などの事例を元に、学校を対象とした「現代美術鑑賞者の自立的鑑賞」「現代美術作家の経済的自立」のためのアートビジネスの可能性を探り、本稿の結論を示す。

→次へ(第2章 鑑賞者教育)

【第2章】鑑賞者教育

2 鑑賞者教育

 2009年に開催された展示会来場者数の順位で日本の古典美術展のみが上位10位の半分を占めていたのと対照的に、米仏の現代美術展が入っていたのは何の影響によるものなのだろうか。現代美術作品はそれ以外の美術作品と異なり、鑑賞する為には一定の鑑賞力が必要であると考えられている。また、幼年の頃に美術と接した度合いによって成人後、美術の愛好家になるかどうかが決まるとアメリカの調査結果で言われている。では、米仏と日本の鑑賞者の鑑賞力の差はその鑑賞者教育によって生まれているとは言えないだろうか。本章では、日米仏で実施されている子どもたちへの鑑賞者教育を比較分析しこの問いに答えたいと思う。

2-1 米仏の鑑賞者教育

現代美術鑑賞者が日本と比べ多いと考えられる米仏が行っている鑑賞者教育は一体どのようなものなのだろうか。

アメリカ
【義務教育期間】6~15才
【教科書】州の自由裁量
【シラバス】州の自由裁量
【教育制度における美術】美術、音楽、舞踏、演劇を含む芸術からの選択
フランス
【義務教育期間】6~16才
【教科書】小学校、各県で認定リスト。中学校、自由
【シラバス】学校種ごとに統一
【教育制度における美術】全仏統一。1時間/週、義務教育で必修教科
日本
【義務教育期間】6~15才
【教科書】文部科学省が公示する教科用図書検定基準に合致した教科用図書を使用
【教育制度における美術】 時間/週、小学校(図画工作)中学校必修教科、高等学校では美術、音楽、書道、工芸を含む芸術からの選択。1990年代から美術館との連携を推奨

米仏とも、表を見る限り教育機関における美術教育は日本とさほど変わらないように見える。では、アメリカとフランスの鑑賞者はどのようにして育ってきたのだろうか?また、日本と米仏の鑑賞者教育の差は、各国の現代美術鑑賞者数の差をも生み出すものなのだろうか。本章では、米仏の鑑賞者教育の分析を通じこの問いに答えたいと思う。

(1)鑑賞者研究
 現代美術作品の鑑賞者が何を考え、どのように作品と接しているのかについての研究は、日本では未だ行われていない。ニューヨーク近代美術館の教育部は発達心理学者のアビゲル・ハウゼンがと共同で鑑賞者研究プロジェクトを立ち上げ、鑑賞者がどのような傾向を持っているのかを明示した。

1:Narrative stage
物語の段階 作品を見て、自分自身の物語を作る。自分の記憶や経験へと話が逸れ、「鑑賞」からどんどん離れていく。
2:Constructive stage
構築の段階。好き嫌いだけでなく、アートの質を考え始める。自分の中にアートの定義、あるいは人生の価値観に対する定義があるためそれに当てはまらないと不安に感じ、ときにはそのために反感、怒り、抵抗をみせる。
3:Analytical stage
分析・分類の段階。理論と理性で作品をみようとする。主観的な発言は避け、作品を見て考えるというよりも、作品についてのデータを求めている。
4:Interpretive stage
解釈の段階。自分の主観、感性、知識を駆使して鑑賞できる。作品に関する知識もあり、目の前にある作品にとどまらず、そこから他の作品やメタファーなどにも考えが及ぶ。
5:Creative stage
創造の段階。この段階の人は、作品から作品以外のこと、例えば自分の人生や経験、感情等の芸術以外の世界にも自由に行き来できる。まるで幼なじみと遊ぶように作品と遊べる人。

上記の段階は、鑑賞者研究プロジェクトを通じ提唱された、鑑賞者のアートリテラシーレベルの一覧 である。段階5の人は当時の来館者の中に0.1%程しか存在しなく、また1と2の段階の人が美術館来館者の中に最も多いこともこのプロジェクトを通じて判明している。
このプロジェクトにより、ニューヨーク近代美術館はどのような鑑賞者がどのようなサポートを必要としているかを考えはじめると同時に、鑑賞者にアートリテラシー 、を与えることを目的に多様な教育プログラムの提供を企画した。
同じ現代美術作品を鑑賞していたとしても受け手側のアートリテラシーレベルによってその作品から受け取るものは大きく異なり、現代美術と出会っていながらその面白さがわからない人があまりにも多く、その人たちのために現代美術をより楽しむ機会を提供することがその企画趣旨である。
 また、アメリカでは戦後、子どもたちの年齢別鑑賞傾向の研究が行われている。
その研究では、6~8歳、8~10歳、11~13歳、13~15歳の各年齢時期に人物画を見せて「主題」「色彩」「技術」「写実性」「情緒」への興味の度合いを調べている。それによれば6~8歳の興味の対象は「主題」が大半を占める。次が「色彩」でその半分ぐらいの割合を占める。「写実性」「技術」「情緒」への興味は皆無か殆ど無い。8~10歳になると「写実性」「技術」「情趣」が少し出て来るものの、基本的には前時期と変わらない。11~13歳になってやっと「主題」「技術」「色彩」「写実性」が20%前後の値を示す。それでも「情趣」は5%しかない。
アメリカの、しかもやや古い研究であるという留保を付けながらも、同研究から子どもたちの美術鑑賞における興味のあり方のイメージが得られる。すなわち、小学校低・中学年では美術作品は基本的に主題(意味内容)を軸に鑑賞され、次に色彩が位置する。高学年に「主題」「色彩」と「技術」「写実性」が拮抗する。それでも「情趣」への興味はあまり無いとされている。

①対話型鑑賞、VTCプログラム
 では、これらの研究結果を元にアメリカで行われている鑑賞者教育プログラムとは一体どのようなものなのだろうか 。その事例として、VTCプログラムとアメリア・アレナスの提唱する対話型鑑賞を挙げてみたいと思う。
 まず始めに、VTC(ヴィジュアル・シンキング・カリキュラム)プログラムの実施内容とその成果を考察したい。1980年代は、アメリカでは教育現場から芸術の時間が次々と削減されていった時代であった。「芸術は役立たず」という観念が政府だけでなく一般の人たちにも広まった時代でもある。そこでニューヨーク近代美術館は「芸術、特に作品をみるという鑑賞行為が、広い意味での教育あるいは人間形成にも役立つツールになる」という仮説を立て、小学校4年生から6年生を対象としたVTCプログラムを企画した。VTCを経験することで子どもたちの洞察力、熟思力、コミュニュケーション能力などを培うことが出来れば、それは美術の時間にとどまらず教育全般に有用だといえるだろうと考えたのだ。3年間を1単位として行われるこの実験的試みを行うに当たって、ニューヨーク近代美術館は対象となるグループを以下の4つに設定した。

1:VTCを全く受けないグループ
2:1年間、2年間、3年間それぞれ通して受けるグループ
3:2で学級担任に授業を受けるグループ
4:2でニューヨーク近代美術館の教育者から授業を受けるグループ

学級担任は美術を専門としているわけではなく、先述したハウゼンの鑑賞者研究に基づいて分析すると、そのアートリテラシーレベルは1か2に分けられる。つまりは美術鑑賞の初心者なのだ。そこでニューヨーク近代美術館は最初に教師のための授業を40時間行った。子どもたちの多くはレベル1の鑑賞者であるため、作品の全体を組織的に見ることができないと予測された。そこで、子どもたちに適切な作品鑑賞方法として、ニューヨーク近代美術館は授業で教師たちへ美術史の知識を与えるのではなく対話型鑑賞方法を教えたのである。対話型鑑賞とは対話を通じて楽しみながら作品理解を深められる1つの鑑賞方法である。この鑑賞方法の特徴は、説明する美術史や美術家の情報を最小にとどめ、観客の鑑賞力そのものを高めることを目標としている点が挙げられる。また、参加者は教師の話を聞くのではなく、対話などを通じて自分の言葉で作品から感じたことを表現する方法、つまり鑑賞にとどまらず作品を批評するスキルも身につけられるのだ。それにより、鑑賞者が自立して作品を鑑賞することが出来るようなると考えられる。また、子どもたちが対話型鑑賞を繰り返し行うことで、他人の意見を聞くことやそれに基づいて自分の意見を述べること、その理由を考える力を身につけることが出来るかが、VTCプログラムが最も重要視する所でもあった。
この実験の結果、VTCを全く受けていない生徒のステージには殆ど変化が見られなかったが、VTCを3年間学級担任から受けたグループは全体で最もステージが上がった。更に観察力の面で特に大きな進歩が見られたことから、的確にものを見・考え・話し・聞くという訓練がいかに通常の授業でなされていないか、もしくは行われていても効果を上げていないということが判明した。しかし訓練次第で子どもたちは確実にそういった力をつけていくこと、その訓練が作品を見るということで行えることがこの実験により立証されたのである。
また、このプログラムに参加した子どもたちの中には、自主的週末毎に美術館のガイド役を務めて、大人に説明を自主的に始める子もいた。そうした子どもは成績も全般に向上した。話をする訓練を積んだことで読む力と書く力が増し、論理的な思考を学ぶことで数学と理科の理解も深まったからだ。
VTCの実験を通じてニューヨーク近代美術館は、対話型鑑賞を行うことで子どもたちは美術に慣れ親しむだけでなく、洞察力、熟思力、コミュニュケーション能力の向上及び読解力、文章力、論理的な思考、社会科学の分野の関心を身につけられることも分かった。また、それにより学力向上、進路選択へ好影響を与えられる可能性があることを立証することへも成功したのだ。
 次に、アメリア・アレナスの提唱する対話型鑑賞をみてみたい。アレナスの対話型鑑賞はVTCプログラムを更に発展させ、子どもたちの年齢にあわせた作品の選別や、成長度合いにより想定される子どもたちの発言を対話へどのように取り込むかをマニュアル化したという特徴が挙げられる。
日本の美術館はギャラリートークなど「聴講型の鑑賞」が多いと言われているが 、「対話型の鑑賞」はニューヨーク近代美術館やメトロポリタン美術館を始めとするアメリカ各地の美術館の主流の鑑賞方法と言える。
心理学者のロジャースは、カウンセリングの基礎について次のように述べている。
「クライアント中心であること、つまりクライアントの中にある成長への力と能力を、十分に働かせることに重点がおかれる。別にカウンセラーの豊富な知識が要求されているわけではない。クライアントの発言をよく聞き、彼自身がどのように感じ、どのように生きつつあるかの理解に努めていけば、クライアントが解決を自ら生み出していくことが可能なのである。カウンセリングの基礎は、クライアントが自ら気づき、成長していくことを可能にするような雰囲気を作り出すことにある。」
この意見を元に考えると観衆中心の芸術理解・芸術体験に重きをおく対話型鑑賞は鑑賞者育成に非常に適していると考えられる。観衆の意見をよく聞き、観衆がどのように感じ、どのように理解しつつあるかを注目することに基本を置けば、教師や学芸員の専門的な知識無しに、観衆は自ら気付き、成長していくことが出来るのだ。
アメリア・アレナスの対話型鑑賞方法は3点の基礎と5つの視点から成り立っている。基礎において最も重要とされるのは観衆の意見を受容することであり、それを成り立たせる要素が5つの視点となる。

(基礎/視点、の順に表記)
受容―観衆の意見を受容する/受け入れる
交流―観衆相互の対話を組織化する/観衆の意見から始める
統合―観衆の意見の向上的変容を促す/良さを見つける
                ほめる
                ともに喜び、ともに楽しむ

上記の要素を元に対話型鑑賞の手法はアメリア・アレナスのもと更に深化しており、言語的、非言語的働きかけ等の具体例がマニュアル化されている。また、1998年にアメリア・アレナスが水戸芸術館、川村記念美術館、豊田市美術館で行った対話型鑑賞教育は、当初日本の子どもたちは欧米の子どもたちと比べ積極性が低く失敗するのではと懸念されていたが、最終的には成功に終わったことも注目すべき事例と言えるだろう。

(2)パーフェクトパトロン育成事業
 欧米にはパーフェクトパトロン という言葉がある。パーフェクトパトロンとは、顧客であり、パトロンであり、ボランティアであり、アートの精神的擁護者でもある人のことを指す。アメリカの芸術団体はパーフェクトパトロンのいるコミュティー育成に余念がなく、美術館を始め数多くの芸術団体がそのことを目的とした、様々な鑑賞教育プログラムを行っている。

1:団体の活動に興味を持たせ、最初の1枚のチケットを購入してもらう。この段階が2~3年続く。
2:何度も来てもらえるようシーズンチケットを買ってもらい、さらにメンバーシップ(友の会)に入会してもらうことで、様々なイベントに参加してもらう。(メンバーシップフィーには多少の寄付も含まれている)。この段階が5年続く。
3:団体に対して深い関心と理解を持ち、金銭面、精神面での団体の擁護者になってもらうと同時にメンバーシップフィー以外の寄付をしてもらう。
4:ボランティアとして団体の活動を支えるようになる。

子供のころに芸術環境の機会に恵まれた者は大人になってもアートの愛好家になりやすいという調査結果が出ていることから、子どものための芸術教育は将来のパトロンやチケットバイヤー、コレクターの育成のために必要不可欠と言われている。
また、現代においては芸術団体のボランティアの数は一般市民と芸術団体との関係のバロメーターとして助成金審査の参考資料とされている。地元民も指示しない団体に助成は無用と考えられているからだ。アメリカでは、鑑賞者教育よりもパーフェクトパトロン育成の意図がアウトリーチ活動で強い傾向にあるとも考えられる。行政よりも民間団体による美術館が多いアメリカにおいて、展覧会などにおける観客動員、収益黒字化のためには、芸術団体に関心を持ってもらいその活動を理解してもらうことが欠かせない。それでも芸術の場に足を運ぶ人は全人口のうちわずかなので、さらに幅の広い層に興味を持ってもらうためにコミュニティーに向かってアウトリーチプログラムを実施する。観客動員において、次のステップは、教育プログラムを通してより深いレベルで芸術と接することができる機会を提供することでパトロンとしての観客を増加・維持することだ。パトロンとして観客の興味を引くための友の会やボランティア、更に資金援助のみならずカウンシル のような団体の一員として運営にも関わっていけるような仕組みがある。
 アメリカの教育機関では美術は必修ではなく選択制で、美術館主導での先述したような理論研究は高度に進んだが、実践家や検証がなされず専科の美術教師も少ない状況にある。それとは対照的に美術館では「美術は公共益である」という理念の下より幅広い層の美術享受を目指しているため、美術教育の重要性は浸透している。美術館のみならず、コンサートホールなどのあらゆる文化施設で子ども向け教育プログラムを中心に、障害者を含む様々な人を対象にした熱心な美術教育プログラムが実施されているのだ。また、子ども中心の教育プログラムが盛んであることのもう1つの理由には、ニューヨーク市の場合、市が学校への助成金を削減したため多くの学校で美術の授業が中止され芸術教育の役割が学校から芸術団体に移行したことが挙げられる。子ども時代にどれだけ美術鑑賞をしていたかが、パーフェクトパトロンになるか否かの分かれ目となるあることもあり、アメリカの美術館は将来のスポンサーやチケットバイヤーの育成に投資しているとも考えられるだろう。また先述した通りアメリカの芸術団体は、助成金審査を受ける際にボランティアの数の調査が入るため活動を存続させるためにはボランティア、つまりはパーフェクトパトロンを育てることが最重要であるといっても過言ではないかもしれない。
 アメリカでは小中学生、高校生を対象にした鑑賞教育が各々の美術館で実施されていた。極めて一元的な見方ではあるが、アメリカの美術館や芸術団体が地元民から指示されることで得られる助成金やその協力によって運営されていることから、1980年代から美術館のある地域では地域住民(子どもたち)への鑑賞教育が実施されていたとは考えられないだろうか。

(3)学校によるアートリテラシー教育
 フランスでは、どの学年にも使用可能な、絵画、写真、映画を一挙に扱った横断的なイメージ文化入門書「イメージ・リテラシー工場」 が1980年代末に出版され教育機関において現代でも広く使用されている。
フランスの教育機関へ「映像の視聴、分析、資料の論評、イメージと音による表現と創造」という新しい学習習慣が教育現場へ持ち込まれた当初、多くの教師たちはそれをどのように扱えばいいのか戸惑ったといわれている。イメージ・リテラシー工場の趣旨は「こうした教師の要望に応え、簡潔な理論的入門の役割を果たす教科書を提供するとともに、180の多様なエクササイズを用意してイメージの実践への意欲を引き起こし、学際性を促進し、表現と制作へ意欲を発展させることにある」とあり、子どもたちのみならず鑑賞教育を行う教師にとっても有効な入門書であったことは創造に難くない。事実、フランスの1980年代から今日に至るイメージ・リテラシーをめぐる教育現場の状況はイメージの指導をめぐって教育現場が混迷していた時代から、90年代に入ると、着実にイメージ教育は進展・定着してきている。この入門書の存在は、美術教育の外枠が日本とそう変わらないにも関わらずフランスでの現代美術展来場者数が極めて高い数値に保たれていることへの説明にはならないだろうか。
 また、フランスでは文化通信省と国民教育省が連携をとり、全ての教育における視聴覚的言語活動と視聴覚作品に対する教育的入門指導を統合し、これらを進級・選抜試験に組み入れている。イメージ教育が公式にカリキュラムに組み込まれ、バカロレア へも出題されている。更に小中学校やリセ の教育課程においても、イメージリテラシー教育の比重が増大しているのだ。2005年の文系バカロレアの核となる試験では、文学と映画の関係についてカフカの『審判』とオーソン・ウェルズがそれを映画化した『審判』のある部分の比較をせよ、という問題が実際に出題されている。
これらのことよりフランスの鑑賞者教育は日本のそれと比較しても表層に留まるのでないことがわかる。更にそれを明白に物語るのが、TPEの展開だ。TPEとは、リセの学生が単独、あるいは少数のグループを作って特定のテーマについてのプロジェクトを立ち上げ、指導を受けつつも自力でそれを実行して、自立的な問題設定解決能力を育成するカリキュラムの項目である。TPEは2007年から必須化し、その成果の評価がバカロレアに組み込まれることになっている。また、過去のTPEのテーマでは既にイメージが文系に限り取り上げられているのだ。
 イメージ教育、つまりは鑑賞教育が日本でいう小中学校のレベルからフランスの学校へ浸透していたことがこれらの事例よりわかる。ここまで教育機関で用いられている資料のみに焦点を当てフランスの鑑賞教育の動きを見てきたが、これらの事例より何故フランスでの現代美術展来場者数が高い数値を出したのかが推察できるのではないだろうか。

2-1 日本の鑑賞者教育

 現代日本の学校における鑑賞者教育の状況を端的に言いあらわしている金子一夫の文章をここで引用したい。「一般的に美術活動には次の3種類がある。A創作、B鑑賞、C理論・批評である。この観点から言えば現在の学習指導要領は、創作活動が主たる内容になっていて、鑑賞は従たる内容である。理論・批評はほとんど無い。これは戦前の図画科、手工科という実習教科が前身である歴史的事情、創作は作品という客観的結果があり教育効果が判断しやすいこと、特に小学校児童は創作を好むことなどが理由であろう。 」また、鑑賞の授業が行われた場合も、作者の経歴や作品の特徴の知識を与える形式のものが多いと言われている。では、日本の鑑賞者教育はどのような経緯で現在の形になり、どのような地点へ向かおうとしているのだろうか。

(1)鑑賞者教育史
 1990年代以前の美術教育では、実用的、造形感覚の発達、技術を尊重する傾向が強く、美術教育は鑑賞よりも実技を重視していた。これは、明治初期から大正までの間、臨画主義 のもと極めて実利主義に近い技術習得のための美術教育が行われたことが発端と考えられる。また、西洋から輸入した美術教育カリキュラムの中に鑑賞教育が含まれていたにもかかわらず、臨画主義での鑑賞は、制作におけるモチーフの観察や生徒制作作品相互批評程度のものとしてしか捉えられていなかった。その理由の1つとして、当時の日本には美術館が無かった点が挙げられる。その流れは昭和まで続く。1936年に高等小学図画で用いられた教材の種類で説話教材と鑑賞教材は1つずつなのに対し、表現教材には自在画(思想画、写生画、臨画)、用器画、図案、と3つも発行されている。だが、学習指導要領へ鑑賞の実施を促す記述が全くなかったわけでは無い。ではなぜ日本の美術教育では鑑賞を殆ど行ってこなかったのだろうか。それは、鑑賞は表現と比べ評価をつけることが容易ではなく、鑑賞行為を通じて精神鍛錬がどのように成されるかの研究が日本において充分はでなかったことが臨画主義の継続につながったと考えられる。
 では、次に美術家が学校を訪問し実施している授業がどのようなものなのかをみてみたい。アーティストによる授業実施事業 は、2004~2008年の間にSTスポット横浜、文化課、子ども教育支援課、高校教育課4つの団体が協力して行った事業である。神奈川県内の幼稚園、小・中学校、高等学校、特別支援学校にアーティストを派遣し、総合的な学習の時間あるいは芸術系授業の時間にワークショップを行った。そのワークショップの実技と鑑賞の割合を見たいと思う。

(年度/授業数/実技数/鑑賞数、の順に表記)
2004/5/5/0
2005/7/7/0
2006/17/17/0
2008/11/10/1
2009/11/11/0

上記の表より、教育現場以外の組織も関わっている事業でも鑑賞より実技に重きがおかれていることが分かる。また、2008年度に行われた鑑賞授業は、「画家の視点で語る美術作品の見方レクチャー、色彩や構図について、作品鑑賞」とあり、従来の「聴講型の鑑賞」をひきついだものであることが伺える。
東京都写真美術館は先述した通り、小中学生、高等学校の児童・生徒が学校活動の一環として活用することを目的としたスクールプログラムを実施している。生徒たちに何を学ばせたいか、どのような体験を与えたいかによって学芸員がそれぞれの学校授業にあったプログラムを1つ1つオーダーメイドでコーディネイトしている。学校側から鑑賞に重点をおいたプログラム実施の要請があれば学芸員がそれに対応すると言えるだろう。
東京都写真美術館がスクールプログラムの一環として行っている体験学習プログラムをみてみたい。

(プログラムタイトル/プログラム概要/受入期間、の順に表記)
カメラの仕組みを学ぼう/カメラ制作・撮影・プリントを通じその仕組みを学ぶ。/通年
暗室体験!写真をプリントしてみよう/カメラを使用せず白黒写真の現像プロセスを体験する。/通年
映像体験!驚き盤をつくろう/19世紀の映像装置「驚き盤」を用いたアニメーション入門プログラム。/通年
映像体験!コマ撮りアニメーション/10秒程度のアニメーションをグループで制作する。/3学期

東京都写真美術館は「学校側から鑑賞に重点を置いたプログラム実施の要請があれば学芸員がそれに対応する」とあるため一概には言えないが、あらかじめ用意されているプログラム内容が全てハンズオン系であること、また日本の学校の教美術科目には鑑賞教育に対するノウハウや評価の仕方が未だ確立されていない現状を踏まえると、利用校の大半はこれらのハンズオン系のプログラムを受講しているのではないかと考えられないだろうか。
 だが、東京国立近代美術館では、2003年より開館日全日、対話型鑑賞に軸を置いた作品鑑賞ツアーを実施しており約2万7千人の来場者がツアーに参加しているように 、徐々にではあるが対話型鑑賞を行う美術館や芸術団体が増えており、現在は聴講型鑑賞から対話型鑑賞への過渡期であるとも言える。
また1989年までの小学校図画工作学習指導要領、中学校「図画工作」「美術」学習指導要領、高等学校「図画工作」「美術」「工芸」学習指導要領では造形活動に重きがおかれていたが、1998年の小学校学習指導要領改訂で「鑑賞の指導の充実」1999年の高等学校学習指導要領改訂で「コミュニュケーションとしての美術」2008年の中学校学習指導要領改訂で「鑑賞を通じて美術を愛好する心情を育てる」というフレーズ等を用いて鑑賞の重要性を強く打ち出していることからも美術教育での、それまでは目標に留まる程度だった鑑賞の立ち位置が大きく変化してきていることが分かる。
 現在は学校と美術館が各々の鑑賞教育を実施しているが、先に述べた通り日本の教育機関で鑑賞教育が重視され始めたのは10年程前からであり、それまでの間は教育機関側から鑑賞の対象として現代美術作品への積極的なアプローチがなされていなかったことが分かる。
 また、1950年代に具体美術協会の活動を当時の美術批評家たちは「造形」の観念に縛られ、新聞などの公のメディアがスキャンダルめいた報道を行う中、彼らの活動を正当に評価する事を躊躇っていた。後に具体美術協会の中心人物である吉原治良は「私は熟れつつある新鮮な果実を差し出してきたつもりであった。しかし、日本の批評家たちは誰かが、一口味わった後でないとなかなか喰いつこうとしない。」と述べている。また1960年代に隆盛をみせた読売アンデパンダン展では、作家の作品に腐敗の恐れがある、危険である、猥褻である、といった理由で陳列を拒否され、展示中の作品を作者も知らぬ間に美術館員によって撤去されるといった事も起こっていた。これらのことより、本来であれば作家や作品と社会の繋ぎ手となるべき批評家や美術館側もまた、全てではないにせよ、現代美術作品と社会を繋ごうとする試みを十分に行っていなかったことが伺える。

(2)鑑賞の評価
 次に、学校の美術教科で鑑賞の時間を取り上げにくくしている要因の1つ「鑑賞の評価方法」について考察したいと思う。
 学校での観点別学習状況の評価の観点は「関心・意欲・態度」「思考・判断」「技能・表現」「知識・理解」の3項目である。重要度は記載順とするのが法令の約束事であるから、「関心・意欲・態度」が最重要観点であると言える。各観点の評価は題材ごとにA(十分満足出来る)、B(おおむね満足できる)、C(努力を要する)でされる。ただし、小学校低学年では教科の評定はされず、小学校中・高学年では3段階評価、中学校では5段階評価がされる。

【評価の観点】
小学校:造形への関心・意欲・態度、発想や構想の能力、創造的な技能、鑑賞の能力
中学校:美術への関心、発想や構想の能力、創造的な技能、鑑賞の能力
【評価の対象】
造形、構想、技能の能力→制作された作品
鑑賞の能力→鑑賞時の子どもたちの発言、様子

小学校図画工作及び中学校美術の観点別評価の観点も、既述の4観点に応じた内容になっている。すなわち小学校図画工作では、「造形への関心・意欲・態度」「発想や構想の能力」「創造的な技能」「鑑賞の能力」である。中学校美術では、「美術への関心」「発想や構想の能力」「創造的な技能」「鑑賞の能力」である。
教育評価項目が教育目標に対応するのは当然であると言える。前項で見た評価の4観点は、それに対応する4目標の存在が前提となる。実際、指導案に4観点と対応させて目標を4つ並べている例もある。ただ、1つの授業がいつも4観点と対応するような4目標、4評価規準を持つとは考えにくい。授業によって目標数は違ってくるはずである。最終的には、美術教育では作品が授業での指導の結果として残ることが多い。また、鑑賞の評価を行う際には、鑑賞時の子どもたちの様子から「関心・意欲・態度」の度合いをも見極めなければならない。授業中の児童生徒の一挙一動、表情から関心・意欲・態度を評価するのは危険だとは言えないだろうか。鑑賞時に生き生きとした表情をしていなければ低い評価を下されてしまう可能性があるからだ。真剣に鑑賞している子どもは時としてぼんやりしているように見えてしまうものではないだろうか。
国語や数学など「知識」を主題とする科目と異なり「感性」へ重きをおく科目である美術の評価方法が困難であることは自明である。鑑賞という、内面の変化に焦点をあてる取り組みであればなおさらである。だからと言って、例えば鑑賞を通じて子どもたちが感じたこと、考えたこと自体へ評価を行うことも正当ではないと言える。なぜなら曖昧さや多義性をあわせもつ美術作品から何を感じ取るかは子どもたちの自由でありその観念自体へ3段階、5段階で評価することは個々の「感性」へ重きをおくべき美術教科の方針とは明らかに違えるものだからだ。ここで、作品鑑賞に関するピカソの発言を引用したい。
「絵画作品というものは、あらかじめ構想されているものでも、固定化されているものでもありません。制作の過程で、画家の思考の変化に従って変貌するものなのです。そして完成した後も、作品を観る人の状況によってまた変わるのです。1枚の作品は、生き物のように自分の性を生きるのであり、日常生活がわれわれに課すもろもろの変化を蒙るのです。それは、絵画作品が観る人によって初めて生命を与えられることを考えれば、当然のことだと思います。」
新学習指導要領の「生きる力をはぐくむ」、1999年の高等学校学習指導要領改訂で「コミュニュケーションとしての美術」というフレーズが用いられていることを踏まえ、これからの鑑賞教育は知識重視のものから、鑑賞を通じ得た着想をどのように相手へ伝えているのか、その伝達手段の評価を重視することが「現代美術鑑賞者の自立的鑑賞」においても重要であるとは考えられないだろうか。

(3)学校と美術館の連携
 1995年に開館した東京都写真美術館で小中学校、高等学校を対象としたスクールプログラムや、1986年に開館した世田谷美術館が区内の小中学生を対象にした鑑賞教育が行われている。また、国立美術館が2006年度より小中学生の美術館を活用した鑑賞教育のための指導者研修を実施し教員から高い評価を得ているなど、学習指導要領の改訂もあり美術館と教育機関の歩み寄りが近年盛んに見られている 。
では、具体的な数値としてはどの程度の協力体制が生まれてきているのだろうか。埼玉県立近代美術館を一例に挙げると、2009年度の学校利用受け入れは100校となっており 、また、児童生徒利用は8400人と、どちらも過去3年実積の平均値より10%増以上となっていることから、双方の協力体制は順調に築かれていることが伺える。また、学校への職員派遣、資料貸し出しなどの連携事業は221件となっており、学校利用受け入れの2倍以上の数値を見せている。

学校利用受け入れ:100校
利用内容別学校数の内訳:小42校、中28校、高18校、幼9校、大3校
児童生徒利用数:8,400人
利用内容別学校数および児童・生徒数の内訳:小3,563人、中1,160人、高452人、幼533人、大29人(学校週5日制対応事業の内訳は含まれていない)
学校連携:221件(学校への職員派遣、資料貸し出し、連携事業など)

学校と美術館の連携事業が始まったばかりということもありこのような結果が出ているとも考えられるが、では、学校側が生徒と美術館に訪れるよりも、美術館側が学校へ出張する事業の方が倍近く利用されているのは何故なのだろうか。橋本忠和が教員を対象に行った、美術館での鑑賞教育を実施する上で不安に感じる要素の調査結果によると、移動時の安全及び時間確保を懸念している教員が多いことが伺える。
今後の美術館側の対応が重要になってくることは先に述べた通りだが、美術館に訪れるよりも学校での鑑賞を求めている教員が多いこともまた、鑑賞教育を考える上で強く意識すべきことではないだろうか。

2-3 現代美術と子どもたち

 1980年代の日本の教育機関では造形へ重きをおいた美術教育を行っていたのと異なり、米仏では各国独自の手法で、子どもたちを対象にした鑑賞者教育が始まっていた。日本と米仏の鑑賞者教育の差は果たして本当に、2009年度の展示会来場者数へ影響を与えているのだろうか。
 2009年時に鑑賞教育を受けた、あるいは受けていると推測できる人々の年齢層は日本が6~19才なのに対し米仏では6~44才となっている。では、日米仏のその人口と総人口の比率を比較してみたいと思う。
(2009年/総人口/鑑賞教育受給者/鑑賞教育受給者割合、の順に表記)
日本/12,716万人/1,662万人/(6~19才の人口)13%
アメリカ/31,466万人/16,675万人/(5~44才の人口)53%
フランス /6,230万人/3,060万人/(6~44才の人口)49%

アメリカが53%、フランスが49%とほぼ半数を占めているのに対し、日本は13%とその差は歴然である。だがこの数値はあくまで義務教育機関において鑑賞者教育を受けたであろうと考えられる人口の推計であり、彼らが展示会の実質の来場者かどうかの立証はここでは出来ない。けれども、少なくとも28年の鑑賞者教育の差があることは厳然たる事実である。これは、日本と米仏の現代美術展集客力が異なる理由を説明できる一つの根拠だとは言えないだろうか。
 これらのことより、現代美術普及を前提とした「現代美術鑑賞者の自立的鑑賞」「現代美術作家の経済的自立」のためのアートビジネスは、子どもたちを対象にしたものが適切であると考えられる。

→次へ(第3章 結論 現代美術の「教育ビジネス化」)

【第3章】結論 現代美術の「教育ビジネス化」

3 結論 現代美術の「教育ビジネス化」

 前章で、現代美術と子どもたちを繋ぎ鑑賞教育を行うことが現代美術普及において必要であることが分かった。また、鑑賞教育の評価は、子どもたちの感性を対象とするのではなく、鑑賞を通じ得た着想を相手へ伝えるコミュニュケーション力等の評価を米仏が重視していることも分かった。
これらを踏まえ、本章では、現代美術を「教育ビジネス」として日本の学校でどのように展開していくべきかを述べたいと思う。

3-1 学校との連携

 鑑賞者教育を学校で実施する上で留意すべき点に、先に述べた通り移動の問題が挙げられる。教員へのアンケート調査結果から移動時の不安が最も多く挙げられていることから、鑑賞者教育は子どもたちを施設へ招くのではなく、美術教育専門者と作品が各学校へ出向くことが有効であり、持続可能なプランであると考えられる。
 では、本稿のテーマの1つ「現代美術作家の経済的自立」を成立させるためにはどのような実施内容が現実的なのだろうか。また、有償の鑑賞者教育を提供するにはどのような学校へどのような教育内容を実施すれば良いのだろうか。本章は日本の学校の現状を分析しながらこの問いに答えるものとする。

(1)教育費
 平成16年度に保護者が子どもの学校教育及び学外活動のために支出した経費を学校種別に見ると,最も高いのは私立中学校で127万円5千円、1ヶ月約10万6千円となっている 。
では、私立中学校で95万6千円、毎年教育費として保護者が支払っている学校教育費はどのような用途に充てられているのだろうか。公立との金額を比較ながら検証してみたい。

(項目/公立/私立、の順に表記)
年度の学習費の総額/47.2万円(3年間で約141万円)/126.9万円(3年間で約380万円)
学校教育費/13.3万円/95.4万円
授業料/―/41万円
修学旅行・遠足・見学費/2.5万円/6.5万円
学校納付金等/1.6万円/25万円
図書・学用品・実習材料等/2.5万円/3.9万円
教科外活動費/2.6万円/4.9万円
進学関係費/3.7万円/13.6万円
その他/0.4万円/0.7万円
学校給食費/3.7万円/13.6万円
学校外活動費/30.2万円/30.4万円
補助学習費/23.6万円/19.4万円
その他/6.6万円/11万円

上記の費用一覧から、授業料や進学関係費、図書・学用品・実習材料等の主要な教育には150万円(12.5万円/月)なのに対し、修学旅行・遠足・見学費、教科外活動費などの余剰教育へは11.4万円(9,500円/月)と、公立よりは2倍近い金額になっているものの非常に低い数値をみせている。
これらのことより、予算が潤沢にある私学での主要な教育活動と美術鑑賞をいかに繋げていくかが最も有効であると考えられる。
VTCの事例より、対話型鑑賞は子ども達の学力向上や進路選択へ好影響を与える可能性があることが分かっている。よって、美術鑑賞を「美術の時間」へ留めるのではなく、新学習指導要領 の「生きる力をはぐくむ」という理念を実践するための1プログラムとして、予算の多い「総合の時間」で行うことが、「現代美術作家の経済的自立」を踏まえた上で合理的であるといえる。

(2)立地
日本で最も私立学校が多いのは東京都である。

(学校種/東京都/全国/東京都学校数、の順に表記)
小学校/4.6%/1%/1,063校
中学校/26%/6.7%/2,869校
高等学校/56.8%/29.7%/3,077校

上記の一覧から、東京都における私立学校の占める割合が全国の2倍近い数値を出していることが分かる。また、平成11年度に制度化された中高一貫教育を行う学校数は増加し続けており、特に併設型の増加が大きくなっている。加えて東京都は芸術・美術大学が日本で最も多いことから、関東圏に滞在する現代美術作家を志す学生、あるいは現代美術作家もまた多いと推測できる。美術鑑賞プログラムの対象である、私立学校の大半が東京都に集中していることは、利便性をふまえた上でも非常に有効な状況であると言える。作品の鑑賞において実物を観る体験に勝るものは無く、作品は一般的に作家の周辺に保管されていると考えられるからだ。

(3)傾向
 では、最も予算の多いと考えられる「総合の時間」で私立学校はどのような授業を行っているのだろうか。ここでは、どの私立学校へ進学するかを決め実際に授業を受けるのは子どもたちであるが、その選択には保護者が強く影響していることを踏まえた上で、私立学校がどのような「総合の時間」と呼ばれる独自の教育プログラムを打ち出しているのかを考察したいと思う。
 近年、学習指導要領の改訂やPISAの調査結果、提唱された「OECD(経済協力開発機構)30カ国がスキルとして重視しているもの」など子どもたちに必要とされる能力や技能が変化を遂げている。それにより保護者は進学校だけでなく、n対n の授業や、3X型 の学習環境を積極的に構築している学校へも目が向くようになってきていると言われている。3X型の良質の学習環境も構築している進学校を保護者は選択したいと思っていることは自明だが、子どもの進路の選択肢が増えたことは近年の特徴の1つであると考えられる。
 子どもたちに求められる能力や技能、保護者のニーズの変化により、学校では「総合の時間」を用いて様々な取り組みを初めている。それは私立学校でも同様である。加えて、私立学校は授業料や受験料で収入を得る経営方式のため競合(他校)との差別化、独自の魅力的な教育プログラムを展開しなければならないという命題を持ち合わせている。
 鑑賞教育の観点から考えると、VTCプログラムや対話型鑑賞もまた、コミュニュケーション能力向上、思考力向上を図れることから3X型学習環境に当てはまるものであり、私立学校の教育現場が探求するn対n型授業の1つの様相を十分に成していると考えられる。
 では、私立学校では現在どのような理念の下に総合の時間を実施しているのだろうか。NTS教育研究所という、私学へ総合の時間に実施される教育プログラムを提供している民間団体がある。ここでは、NTS教育研究所という民間団体が私立学校、株式会社本田技研工業と共同で取り組んでいるHonda「発見・体験学習」と、CAL(Center for the Advanced Learning)を中心に私学独自の展開を見せる総合の時間がどのようなものかを考察したいと思う。
CAL とは、(1)対話をツールとして総合の時間の授業の追究をする(2)「暗黙知」(言葉や文章で表すことの難しい主観的な知識)を与える「チョーク・アンド•トーク」による授業から、「形式知」(言葉や文章で表現できる客観的な知識)を与える「グッドバイ・チョーク・アンド•トーク」への転換を図る、の2つを理念に掲げ授業のあり方について研究・実験を行っている私学教員の任意団体である。
ここで、CALが行った授業がどのようなものかその一部を見てみたいと思う。

(【タイトル】対象学年/内容、の順に表記)
【4枚の世界地図と6枚のフォトランゲージの読み解き】
中学生/各国の制作した自国を中心に置く地図の比較考察。5つの発展途上国の写真を元にディスカッション
【人間社会学「人はいかにして試練を乗り越えるのか】
/高校生/アラン・レネ「夜と霧」(仏映画)視聴後、フランクル「夜と霧」精読。オウム真理教関係の裁判傍聴、裁判官による説明。心臓手術見学。
【倫理試験】
高校生/人間の定義とその根拠についての論述。
【社会人力育成】
高校生/自己学習能力・コミュニケーション能力・プレゼンテーション能力の育成のためプロジェクト・ベース学習、自主学習を軸にテーマと目的を定め、その追究のプロセスを体験学習や問題解決学習によって構成。

上記の授業は一部の私立学校で行われた授業であり、東京都内の全ての私立学校がこのような傾向を持っているとは限らないが、現代の教育環境の変化へ柔軟に対応している私立学校の傾向は分かるのではないだろうか。
上記の教育プログラムの特徴に情報やコミュニュケーションを通じて自己の明確化、他者との関わり方の術を身につけるなどの実践的なものがあげられる。それらの評価は内容の質ではなく、どれだけ子どもたちが冷静に状況を分析し、自分の力で自己の考えを他者へ伝えられるよう努力できるかに重きがおかれていると言える。
次に、NTS教育研究所が実施しているHonda「発見・体験学習」 がどのようなものかを見てみたい。

1:体験 最先端の科学技術やその成果に触れる
2:学習チーム 相乗効果を生み出すダイナミズムを形成
3:グローバル・マルチタレント 外部講師の導入によるN対Nの学習
4:グローバル・ブレイン インターネットによるヒヤリング、リサーチ
5:ディスカッション 心と知のコミュニケーションの体験
6:相互編集 レポート、プレゼンテーションは相互編集の体験
7:プレゼンテーション HP、PPTなどで発信

 Honda「発見・体験学習」は5~10人程度の子どもたちによるチーム学習をベースにしている。各チームに1人コミュニュケーションサポーターとしてラーニングアドバイザーがつくが指導や示唆は基本的に行わず、チームの活動内容は全て生徒たちの自主性に委ねられている。子どもたちは技術と自然をテーマにした施設を見学しそこから得た着想をチームメンバーとディスカッションする。そして、最終的には学校から提示されたテーマへの返答をプレゼンテーションで発表するのだ。
このプログラムで重視されているのはコミュニュケーション、プレゼンテーション、リテラシー3つの能力向上であると考えられる。これは前述した私学における総合の時間の趣旨を展開し深化させたものであると言えるだろう。また、このHonda「発見・体験学習」の利用校の大半が私立学校であることより、私学が総合の時間に求めているニーズの立証になる、もしくは経営的な面で公立学校と比べ私立学校はこのような教育プログラムを受容することが可能な状況にあると考えられるのではないだろうか。

3-2 教育のための「現代美術」

 独自の教育プログラムを展開する私立学校で鑑賞者教育を実施するにはコミュニュケーション、プレゼンテーション、リテラシー3つの能力向上を達成する必要がある。これまで「美術の時間」の中で取り扱われていた鑑賞を、「総合の時間」に適した鑑賞へと企画しなおす必要があるのだ。では、それは一体どのような「鑑賞」が必要なのだろうか。先述した米仏の鑑賞者教育と私立学校独自の「総合の時間」をふまえながら、具体的な鑑賞者教育の実施内容を本章では考察したい。

(1)教育のための「現代美術」とは
 現代美術を鑑賞教育で用いる際にはコミュニュケーション、プレゼンテーション、リテラシー能力向上の達成を視野に入れる必要があることは先述した通りである。本稿における鑑賞者教育では、その3つのスキルが子どもたちへ求められる発端となった「OECD(経済協力開発機構)30カ国がスキルとして重視しているもの」 (以下OECDスキル)向上のために現代美術を用いる。つまりは、OECDスキル向上のためのツールとして現代美術を鑑賞教育で用いるのだ。

【OECDスキル】
リテラシー・スキル:情報にアクセスし、情報を処理すること、情報を結びつけたり、情報を評価したり、そして情報にもとづいて熟考するといった能力。
問題解決能力:パターンを認識して類似性を見いだし、発展させたり、問題を認識して、解決の戦略を展開したり、その戦略を評価するという能力。
対人関係能力:コミュニュケーションだけではなく、グループに参加する能力やグループで何らかの機能を果たす能力、そして一緒に作業する能力など、他人の役割も果たすための全ての能力、基本的には他人と一緒に暮らし、働く能力が含まれている。
個人内のスキル:学習戦略など生徒の学習への取り組み方。学習方法や、自己への配慮や関与の仕方。

(2)鑑賞教育概要
 ここでは、作品をプログラムでどのように使用するのかその具体案を述べたい。
作品はOECDスキルの中でもリテラシー・スキル、問題解決能力の育成を図るトリガークエスチョン の位置づけで使用する。また、全プログラムでは、子どもたちを少人数のグループに分け行う。これは対人関係能力の育成を図るためでもあり、対話型鑑賞をプログラムへ盛り込む上でも必要なことである。1つのテーマに基づき集められた4つの作品を対話型鑑賞した後、作品のテーマとは別の課題、もしくはトリガークエスチョンを提示しそれに対するチームごとの見解のプレゼンテーションを実施する。最終的な評価は、発表を通じ他者へより明快にチームの意見を伝えようとしていたか、加えて自己評価とプレゼンテーションを聴講した他の学生の評価を参考に行う。
次に、前述した小学生、中学生、高校生の鑑賞の傾向をもとに具体的なプログラム内容としてどのようなものが最適であるのかを述べたい。

●小学校1~4学生向けプログラム
小学校低学年の興味の対象は「主題」、「色彩」が占めており、対話型鑑賞を行う上では「物語性のある作品」を用いることが有効であると言われていることより、それらの要素を有している作品を選出するべきであると言える。作品の具体例を、本稿の定義する若手作家によるものではないが、いくつか挙げた上でどのようなプログラムが行えるか提示したい。

1:森村泰昌「ポートレイト(双子)」鑑賞後、マネ「オランピア」鑑賞、対話(リテラシー・スキル)
2:北島敬三「PORTRAITS」、横尾忠則「暗夜行路シリーズ」、対話型鑑賞(問題解決能力)
3:奈良美智「RUNNING NOSE BROTHERS」をチーム内での対話型鑑賞を通じ描かれている子どもたちの人物像、関係性を推察(対人関係能力)
4:プログラムで感じたこと、やってみたいこととその理由発表(個人内のスキル)

●小学校5・6学生向けプログラム
小学校高学年は小学校低学年で興味の大半を占めていた「主題」「色彩」が減少すると同時に「技術」「写実性」への関心が上昇し両者が同じ程度の数値を示す。よって、技術と写実性へより重点を置いた作品を取り入れることが有効であると言える。

1:松井冬子「世界中の子と友達になれる」松井えり菜「森の中から」森山大道「少年(2)・宮城県松島町」を元に、作品の中の人物の気持ち、おかれている状況、などを主軸にした対話型鑑賞(リテラシー・スキル)
2:青木敏郎「オーベルニュの教会」原雅幸「ナローカナルのボート乗り場」羽田裕「サン・ジョルジョ島」の3点を、絵画だと伝えずに対話型鑑賞(問題解決能力)
3:高谷史郎「明るい部屋」を鑑賞し、そこで起こっている物語をチーム内で1つかき出す(対人関係能力)
4:プログラムで楽しかったこと、やってみたいこととその理由発表(個人内のスキル)

●中学生向けプログラム
中学生の段階では作品の「技術」「写実性」に対する興味が上位、「色彩」「情趣」が中位となり、小学生でずっと最上位であった「主題」は最下位に落ち込んでしまう。「主題」に対する興味が下降線を描くのと対照的に「情趣反応」は上昇曲線を描く。
ここから、中学校では写実的な作品が鑑賞対象として適当であると言える。ただ、「情趣反応」が上昇曲線を描いていることから、中学生では単なる写実的作品だけではなく、情趣的要素のある作品も対象にした方がよいと考えられている。
また、CALの事例より中学生を対象にした、社会や世界へ視野を広げるようなプログラムが行われていることより、それらの作品を取り上げるべきであると言える。

1:内藤礼、草間弥生、川俣正のインスタレーション作品のアーカイブを元にチーム内での対話型鑑賞。作品テーマの考察及び誰にどこで見せるべきかを考える(リテラシー・スキル)
2:Chim↑pom「タイムボカン」視聴後テーマの考察、地雷問題を解決するためのプラン作成(リテラシー・スキル、問題解決能力)
3:1、2で出たアイディアをプレゼンテーションするための準備(対人関係能力)
4:プレゼンテーション、及び他のグループのプレゼンテーションを聴講した後、1、2で取り上げた作品の解説文を1人1人の生徒が書く。最終的には制と1人1人が自分だけの1冊の本に仕上げる(個人内のスキル)

●高校生向けプログラム
高校生の鑑賞における興味の対象は、中学生から上昇を始める「情趣反応」に対する興味が、さらに上昇して「技術」「写実性」と拮抗するような状態になっていると考えられている。よって高校生へ鑑賞してもらう作品へは写実的要素と内面的表現要素をあわせもつものを使うことが有効であり、また、CALの事例より、高校生になると小中学生と比べ集中力・思考力が上昇するため社会問題を取り扱っている作品、またはアートプロジェクトを取り上げる意義があると思われる。
1:森達也「A」を視聴し、チーム内での対話を通じ感想をまとめる(リテラシー・スキル)
2:寿クリエイティブアクション、BEPPU PROJEKT、学校の周辺で行われているアートプロジェクト、へ出品された来場者参加型の作品完成プロセスのプレゼンテーション(リテラシー・スキル、問題解決能力)
3:チームごとに関心のある社会問題を挙げ、それを解決するためのプランを作成する。社会問題を取り上げた作品群のリストを作成しておく(リテラシー・スキル、問題解決能力、対人関係能力)
4:各チームによるプランのプレゼンテーションを聴講した後、各メンバーが考えたプランを文章で批評する(個人内のスキル)

上記のプログラムはあくまで一例に過ぎず、実施時間の制約を念頭において企画されてはいない。私立学校の特色や生徒の状況を鑑みた上で改めて作り直す必要がある。また、若手現代美術作家が現在どのような作品を制作しているのか、その徹底的なリサーチもまた重要であると言えるだろう。加えて作品鑑賞とOECDスキル向上をいかに関連づけCALやNTS教育研究所などの民間団体が実施している教育プログラムと差別化を図るかも必要となってくる。アメリア・アレナスの対話型鑑賞では絵画作品を中心に取り扱っているため映像やパフォーマンス、作家によるプレゼンテーションが子どもたちへどのような影響、効果を及ぼすのかの検証も慎重に行わなければならないと言えるだろう。

(3)現代美術作家の経済的自立
 次に、美術鑑賞プログラムでどのように作家へ支援するのかを述べたい。
 先述した通り若手現代美術作家を単身世帯のフリーターと仮定した場合、その平均月収である16万円と、単身者の平均収入の20万3千円の差を埋める、4万3千円分の経済的支援を行うこともプログラムを検討する上で重要である。
加えて、私立学校における主要な教育費の平均費用は1月12.5万円となっているため、月12万5千円以内で4万3千円を作家へ支払えるような見積もりを出さなければならない。月の主要教育費が12.5万円の学校へ販売するプログラムが4万3千円以上の価格であるのは一般的な感覚から言っても非現実的なため、複数の学校を対象に同じプログラムを繰り返し行うことで利益を算出することが妥当であると言える。
 鑑賞教育では、1つのプログラムにつき作品を3~4点使用する。 また作品は、「若手現代美術作家の経済的自立」のテーマを踏まえ関東圏で活動する若手現代美術作家のもののみを使用する。作品は全てレンタル扱いとし、プログラムの価格に盛り込む。レンタル料は全て作家に支払われる。1つの作品のレンタル料は5000~1万円とする。最大4名の作家の作品を用いるプログラムを最低月5回行うことで、平均収入の差額である4万円を埋めることが出来る。
 このプランだと、絵画作品や彫刻作品と比べ未だ強力なマーケットが確立されていない映像作品やメディアアート、パフォーマンスアート、インスタレーションやプロジェクト型のアート作品を制作する作家へもアーカイブ等のレンタルをすることで経済的支援が行える。
次に、どの程度の価格と頻度で美術鑑賞プログラムを実施すれば「若手現代美術作家の経済的自立」が実現できるのかを提案したい。
小学校低中学年、小学校高学年、中学校、高等学校へ提供する作品が異なることから、まずは計16名の作家支援を目的とする。よって目標とする支援額の合計は1カ月68万8千円となる。1プログラムを実施する上で、各学級の人数が30人と仮定すると、司会進行役に1人、子どもたちのコミュニュケーションサポートスタッフに2人が最低限必要なスタッフであると言える。 1プログラムの時間を3時間と想定した場合、支払うべき最低賃金は計7,389円となり 、最低限この額を毎回のプログラムで回収しなければならないと言える。また先述した通り1プログラムの価格が4万3千円を越えることは避けなければならない。
これらの状況を踏まえると、月24回、1回3万6千円の美術鑑賞プログラムを行えば16名の作家へ月4万3千円分の経済的支援が行えると同時にスタッフへも最低限ではあるが労働に対する対価を支払うことが出来る。だが、このような美術鑑賞プログラムをどの団体も行っていない現状を考えるとこの段階へ到達するためには一定の時間と労力を要することは必須でありそれらを意識した上で計画を実行に移していかなければならない。
 では、各月得られるであろう68.8万円の利益を用いてどのような経済的支援を現代美術作家へ行うことが有益なのだろうかを考察したい。本稿では現代美術作家がその活動を行う上での経済的負担を軽減することが目的である。先述した通りそのための支援として下記の6点が挙げられる。

1:制作環境
2:制作で使用する機材、材料
3:作品発表場所
4:作品保管場所
5:活動をする際のサポーター(アートマネージャー・ボランティア)
6:作品共有・鑑賞機会(美術家向けライブラリー)

これらの支援は鑑賞教育へ作品レンタルという形で関わる現代美術作家へ実施するものである。支援の実現のためにはスタジオ、ギャラリー、ライブラリーの3つの施設運営が必要となる。また、機材購入及びそのレンタル活動を行うと同時に現代美術作家のサポーターとなるアートマネージャーの育成活動も視野に入れる必要がある。加えて、鑑賞教育の更なる充実を図るため上記の支援活動も学校、子どもたちとの連携を取りながら実施する必要があると言えるだろう。
ここで、「現代美術鑑賞者の自立的鑑賞」「現代美術作家の経済的自立」を念頭においた「鑑賞教育」と「支援活動」2つの事業の成長段階をラリー・E・グレイナーが提唱する企業成長モデルを参考に提唱したい。

(【企業成長モデル】鑑賞教育/支援活動、の順に表記)
【事業開始期1~5年】個人塾や私学での短期鑑賞教育、企画展や関連イベントを開催/アートマネージャーのインターン・ボランティア起用、マネージメント実践開始
【急成長期6~10年】私学での鑑賞教育開始/現代美術作家の私学での滞在制作及び個展開催 スタジオ、ギャラリー、ライブラリー運営開始に伴う専門スタッフ、アートマネージャー雇用、現代美術作品レンタル開始
【経営基盤確立期11~20年】私学巡回展開催、子どもたちのスタッフ参加/機材、材料提供開始、各アートマネージャーによる作家支援活動開始
【新成長期21~30年】学校との連携の下学校を会場に企画展、アートプロジェクト実施/各スタッフのノウハウを元に学校の企画展、アートプロジェクトに参加
【経営革新期】学校との連携の下学外での企画展、アートプロジェクト実施

上記の30年計画は非常に楽観的なものであり、希望的観測の強いものである。今後このプランを元に個人学習塾での実験、分析を通じより現実的なプランを練っていくべきであると言えるだろう。

(4)現代美術への影響
 前項で提示した鑑賞者教育によって現代美術へどのような影響が考えられるだろうか。鑑賞教育の観点から述べると、これが学校に定着すれば米仏の鑑賞教育の事例を鑑みても日本の現代美術鑑賞者数が増えることは想像に難くない。また、学校を舞台に現代美術が展開されていくことで、アメリカの大恐慌時代に実施された芸術家支援計画「フェラデル・ワン」がパブリックアートの隆盛の一端を成したように、日本独自の現代美術の展開も期待できるのではないだろうか。
 だが、現代美術の独自の展開以前に学校へ現代美術を持ち込み鑑賞者教育を行うことはパブリックアート同様表現への規制が発生することも自明である。また対話型鑑賞の先駆者であるアメリア・アレナスはプログラムで使用する作品はなるべく「物語性のある作品」「多様性のある作品」「親しみやすい作品」にすること、特にアートリテラシーレベルが第1段階であると考えられている小中学生へはそれらの作品群を用いることで効果が期待できると述べている。実際何が効果を発するのかは現在の日本の子どもたちへ実験してみなければ何とも言えない所ではあるが、現代美術を「教育ビジネス化」する上で全ての現代美術作品を利用出来るとは考え難い。作品の内包するテーマ以前に性的、暴力的、差別的なイメージを持っている現代美術作品を子供たちへ鑑賞させることを躊躇う教育現場職員が多いと考えられる。これらのことより、現代美術作品全てを教育ビジネスに転用することは難しく、恣意的に選ばれた現代美術作家のみの経済支援しか行えないと考えられる。

3-4 本研究の意義と限界

本研究では、現代美術を取り巻く日本の状況をアートマネージメントの観点から分析した。また、それを通じ「現代美術鑑賞者の自立的鑑賞」「現代美術作家の経済的自立」を前提に現代美術普及のために必要な要素を考察し、東京でのアートビジネスの可能性を探った。
だが、現代美術の教育ビジネス化に対する現代美術作家の意向や、作家選別が恣意的になる点、加えて子どもたちの実質的な現代美術に対する意識や欲求を十分に検討し得なかった点において鑑賞者教育においての「現代美術作家の経済的自立」「現代美術鑑賞者の自立的鑑賞」達成へは疑問が残り、改善の余地があると考えられる。
また、自身が行ったこれら考察には未だ足らない所があり、引き続き調査・研究を行う必要がある。これらの状況を踏まえて、今後の課題としたい。

卒業論文「東京型アートビジネス-ツールとしての現代美術-」は以上になります。ご高覧いただき誠にありがとうございました。
プロフィール

Author:松岡詩美
卒業論文『東京型アートビジネス-ツールとしての現代美術-』

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